すばらしき大島渚監督のドキュメンタリー作品
2013年 06月 13日
今年1月に逝去された大島渚監督は劇映画のみならず多くの優れたドキュメンタリー作品を世に残した。
つい先日、近所の川崎市市民ミュージアムで回顧上映が行われたので20本ほどを拝見した。
その1本、大島監督自身の母を題材に選んだという私的ドキュメンタリー「キョート・マイ・マザーズ・プレイス」(1991年 / 50分)は、あのイギリスBBCの製作。
少年期、大島監督は京都町屋の屋敷で育った。鰻の寝床のような玄関から延びる長い通路、奥まった屋内は昼間でも薄暗い。それは大島監督が幼少期を過ごした瀬戸内の自然あふれる環境とはまるで違っていた。渚という名は、瀬戸内の煌めく海を想い父親がつけたそうである。その父は大島監督が小学校の時に他界。その後、母と妹の三人で京都の実家の町屋暮らしが始まった。少年期の大島監督はひどくこの境遇を恨んだそうである。その象徴が光射さぬ町屋の御屋敷だったわけだ。そんな鬱積したエネルギーが映画作りに流入し、やがては大島作品のパワーとなりそれを支えたのは言うまでもない。
「映画は破綻している部分があっていい 大島 渚」
すべての大島作品はアナーキーな爆弾だ!
日本人は決して大島渚を忘れてはいけない。 合掌
つい先日、近所の川崎市市民ミュージアムで回顧上映が行われたので20本ほどを拝見した。
その1本、大島監督自身の母を題材に選んだという私的ドキュメンタリー「キョート・マイ・マザーズ・プレイス」(1991年 / 50分)は、あのイギリスBBCの製作。
少年期、大島監督は京都町屋の屋敷で育った。鰻の寝床のような玄関から延びる長い通路、奥まった屋内は昼間でも薄暗い。それは大島監督が幼少期を過ごした瀬戸内の自然あふれる環境とはまるで違っていた。渚という名は、瀬戸内の煌めく海を想い父親がつけたそうである。その父は大島監督が小学校の時に他界。その後、母と妹の三人で京都の実家の町屋暮らしが始まった。少年期の大島監督はひどくこの境遇を恨んだそうである。その象徴が光射さぬ町屋の御屋敷だったわけだ。そんな鬱積したエネルギーが映画作りに流入し、やがては大島作品のパワーとなりそれを支えたのは言うまでもない。
「映画は破綻している部分があっていい 大島 渚」
すべての大島作品はアナーキーな爆弾だ!
日本人は決して大島渚を忘れてはいけない。 合掌

by officehal
| 2013-06-13 21:02
| 映画・ドラマ